街中にたくさんのジムを見かけるようになった。
様々なウエイトマシン、ダンベルが広いエリアに置いてある風景。いつでも利用でき、しかも格安の料金は、マニアにとっては嬉しい。昔は、エアコンもなく、暑苦しく、鉄サビの匂いが汗と混じって、独特で、ストイックな空間しかなかったのが嘘のような時代だ。
多くの老若男女が、楽しそうな顔で、玄関から入って爽やかな汗と共に出てくる姿は筆者も見ていて時代の変化を実感する。しかし、ジムに入ってくる人が増えれば、また、ジムに”何しに来たの”という輩も増えてくる。今回は、昭和の時代に”育って”筆者の思いを書いてみたい。
スマホと共存する若者たち
スマホの進化と便利さは驚愕だ。気軽になんでも検索できる。もちろん友人や知人との連絡も便利で即効性抜群。不特定多数の知らない人たちとの繋がりも可能。電波は24時間自分から、自分の周り、そして自分へ飛び交っている。それをキャッチしない手はない。
ジムに入って来て、着替える前にスマホ、トレーニングエリアでスマホは、当たり前なのかもしれない。
進化した神経は不器用
人の神経系は、おそらく地球上の生き物の中で、静的にも動的にも最も進化して発達した回路である。
運動系、すなわち脳からの出力、アウトプットも、指先まで張り巡らされた神経回路はインフラとしてほぼ完璧に網羅されている。大雑把な動きはもちろん、火事場の力持ちならぬ、緊急事態にも対応可能な能力を秘める。そして、種々の臓器、器官に張り巡らされた感覚神経は脳へのインプットとして、膨大な神経細胞が演算処理して記憶物質を作り脳へ”溜め込む”ことができる。
このアウトプット、インプットの連携も見事で、結果として”モノ作り”へ繋がっている。身体を作る、変える、ボディメイキングもそれだからこそ可能で、砂から鉄の塊を作り出すだけでもすごいが、その鉄をマシンとして動力変換させてきた人の能力は崇高なレベルである。
自らの肉体より、重く固い、大きなものを扱えば当然、身体は変化する。しかし、巨大なモノを扱う、当たれば、それはリスクとの対面でもある。皮膚も筋肉も骨も、所詮鉄より柔らかく脆いのだ。だから、目で見て、耳で聞いて、触って、動かしてみてという動作は、集中すべきであり、その空間にいること自体、固い巨大な異物の中に居る危機感を持つべきである。
筆者は、ジム空間にスマホを持ってくる、許可する、責任者はそのリスク管理に問題があると思っている。マシンは安全であるのが当たり前だと思うが、ワイヤーは時に切れるし、滑車は緩む。あるいはパッドも外れるのである。もちろんスタッフがチェックすべき仕事であるが、レップごとの、引いてきた、押してみるその感覚を筋肉で感じ、脳で次のレベルに高めることに”電波”発生装置は害でしかない。
もちろん、セット間のスマホは論外である。昔、ウエイトトレーニーが手帳で、セットの内容、扱ったウエイトについて、あるいは気がついたことなどを記していたが、スマホでそれを残しているのなら別だが、、、。
筆者が”出会う”輩たちは、マシンを占領して、マシンに座ったまま、ゲームやメールをしているだけだ。その間にせっかくの脳へのインプット、処理演算のエネルギーは分散していくのに、もったいないことだ。
ガムの是非
運転している時に眠い場合、ガムを噛むと少し危険を回避できる。それは咀嚼という筋肉運動のため、咀嚼筋群への神経活動レベルが上がるからである。噛むという行為は、口にモノを入れる、すなわちその”異物”が危険なものであるか検知するための、感覚神経が総動員される必要がある。
口の中には、三叉神経、顔面神経、そして舌咽神経という脳幹部に繋がる3つの脳神経が分布して検知を行う。検知と同時に筋肉を動かすための回路が三叉神経と顔面神経を通って出力されていき咀嚼が始まっていく。これまた同時に咀嚼行為とは、すり潰して柔らかくすることであるために、水分が必要となり、そのために唾液分泌が起きる。唾液を出すためには唾液腺という組織に信号が入力、そして出力が必要で、そこにも神経繊維が分布している。脳幹には、網様体賦活系という”脳を起こす”神経細胞集団があり、ものを噛む、という行為は脳幹全体の活動が活発になる。
で、このガムであるが、ガムを噛みながら、深夜に眠気に打ち勝ちながら、”一人で”勉強するのはわかる。でも、講演や授業を拝聴する時、眠いからと言って、ガムを噛んで”良し”なのだろうか?あるいは、公衆の場で、ガムを噛んでくちゃくちゃ口を動かしていることは、どうなのだろうか?これは、まさにマナー違反ではないだろうか?
ジムは体を鍛える場所であるが、同時に公共の場所である。そこでガムを噛みながら、トレーニングするのもマナー違反とならないのだろうか?日本のプロ野球は、多くの青少年が球場で、そしてテレビで一流選手たちの”姿、行為”を観ている。彼らは、ガムを噛んでいない、しかし、海の向こうのもっとレベルの”高い”試合では、監督も選手たちも、口をくちゃくちゃ動かしている、、、。時に、球場に唾まで吐く。
ジムは時間潰しの場所ではない
日本人の感覚からすると、スポーツをする空間は、武道のように神聖な、真剣な、マナーを守った行為をすべしと思うが、欧米から”伝わって”きた筋トレスペースは、そうではないのかもしれない。人が見ていないところではジムフロアに唾を吐く輩も居るし、プロテインバーの包み紙も、散らかしたまま帰る。掃除する人に仕事を作ってあげていると言い訳をする輩すら居る。粋がって、サングラスで大切な光入力を制限し、イヤホンで耳を塞ぎマシンの異音さえ無視する。大切な筋肉の動きを制御すべきなのに、口を動かし続け、セット間にスマホでゲーム三昧。
これがオーケー、マナー違反でないのなら、日本人として礼節はもう失っているのではないだろうか。何度も述べるが、集中して固い鉄の塊、権化と格闘するには真剣さと礼儀が必須条件である。そして、時間だけでなく、大切な神経活動のエネルギーは有限であり、浪費して欲しくない。もっと体の発する声に耳を傾けて欲しい、神経は脆く不器用であるのだから。
郷に居れば
人の家に入る時、その家の中は、住んでいる人たちが創り上げた”ルール”がある。そして住人たちがまとまった集団もまた同じような取り決めがある。人がまとまっていくための”マナー”がある。
自分が暮らしている空間と別の空間に入る時、たとえそれがお金を払って入るにせよ、そのルール、マナーを学び、”押し計らって”、理解してから入るのは当然だと思う筆者は昭和の遺物なのだろうか。