眩しい太陽の下、薄着になる季節。コンテストでも見栄え良くしたいので健康的に肌を焼きたくなる人も増える。
真っ白な肌と小麦色の肌、その光と影を述べてみたい。
脚光を浴びるために
コンビニジム、24時間ジムが巷に溢れ、筋トレ愛好者が増えるのは喜ばしい。
毎週のようにどこかでお披露目コンテストが開かれ、勝利は身体を絞り鍛える“ご褒美”にもなる。
競い合うことでより高いレベルの成長に繋がる。
戦うステージは華やかで明るいライトが強烈に選手に当たる。
白いキャンパスに隆起があると影ができる。白い色の隆起の影はやや薄いが、灰色や茶色に変えてみたら、影は深みを増す。
コンテストでは細くても、白線がしっかりした腹部は美しく張りがある。
皮膚が真っ白であるより、色が付いていた方が、その深みはより濃い輪郭として現れてくる。
だから選手は、日焼けに走る。同じ鍛え上げた身体なら、真っ白の皮膚より順位が上になるからだ。誰もが負けたくない、壁紙になりたくない。より黒くなるため工夫をこらすことになる。
皮膚の成り立ち
皮膚は母親の卵が父親の分身と出会って一個の細胞が何兆個になる過程でできてくる。
最初は腸(内胚葉)が出来て、次に血液や血管、筋肉や骨(中胚葉)が出来てくると連動して神経と皮膚(外胚葉)が“生まれてくる”。
ほとんど同時に出来るのだが、まずは腸、最後に神経と皮膚である。
母親から生まれた時、すでに皮膚の“形状は”完成している。
外の空気や、多くのモノに触れながら学んで成熟していく。
その過程で神経の存在が重要で、触れる、入ってこようとするものを、“選ぶ”。選ばなければ身体は壊れてしまう。
内臓でコシ出すことのできない不要物を出す必要もある。
毎日選び続け、排出し続けないといけないし、物理的な刺激も繰り返されるので、旺盛な分裂能力が必要だ。再生修復よりも、仲間を増やす能力も身につけている(垢、フケ)。
攻撃され続ける皮膚
太陽の光はエネルギーである。その光が“適度”であるから、地球で多くの生き物が生まれてきた。
人間の身体の一個一個の細胞は絶えずいろんな分子がぶつかりながらその形を維持している(動的平衡)。
外から一定の、安定した、強すぎない刺激を受け止めながら可能になっている。
脳を含めて内臓は光が当たらないからその機能を発揮できる。
眼や粘膜も外に出ているが、必ずその上に皮膚を被せて常時光を浴びないように保護している。
光が危険であるから、皮膚は光が深い場所に届かないようにたんぱく質(メラニン)を作り出し分子状のスクリーンを作っているが、毎日の物理的刺激で擦れ、光を浴びたんぱく質を作り続ける皮膚は、次第に本来の形を維持できなくなる。
赤ちゃんのみずみずしい皮膚を永遠に維持できる人は誰もいない。
シワとシミは皮膚がその形を維持できなくなった証拠で、カサついた弾力に乏しい皮膚は、保湿防御機能を失った証である。
その皮膚を正常と認識できないとき、年齢に関わらず免疫細胞は処理しようと攻撃する。若い頃のアトピー、老人になってからの天疱瘡(てんぽうそう)など多くの皮膚疾患が起きる。
紫外線の罠
光の紫外線のエネルギーから“守る”ためにできた色素メラニンだが、続けて過度に浴びれば、当然、周囲の細胞は傷付く。
傷ついた細胞は死んでいくか、遺伝子に傷が付いたままコピーを始め腫瘍となる。
太陽の光より安全と“謳う”日焼けマシンも、むしろある波長だけが入ってくる不自然さがある。
メラニン色素は増やせるかもしれないが、その他の細胞の遺伝子の損傷を助長する可能性がある。細胞の枯渇、皮膚の老化が早く訪れる。
薬剤ドーピングで早死にする選手は、薬剤で心臓、腎臓といった血管系の疲弊、老化がいち早く訪れるが、過度の日焼けは、皮膚に対して生きるスピードだけを早める役割をしてしまう。
皮膚を労り鍛える
筋トレにハマると筋肉のことばかり考えてしまいがち。パッとした見栄えをよくするために鍛えるのである。
ならば一番人目につく皮膚に心を配り、ケアすることを忘れないで欲しい。
乾燥、発疹など何か変化があれば神経は声を発しているはずだ。
その声を聞き、耳を澄ます。最小限の光曝露に気を配り、どうしても黒くなりたいなら化粧を施す。
普及してきたカラーリングは、皮膚には弊害がゼロとは言えないが、角質層がダメージを受けるだけでその下の大切な若い皮膚は正常な形と機能を持ち続ける。
皮膚は絶えずその個体の外と会話し続けている“もの言う壁”であることを忘れないで欲しい。