一回の挙上重量を競う競技でも、筋肉お披露目大会でも、普段ジムでトレーニングをする時、ベンチプレスで、ダンベルプレスで、そして、チニングで、もちろんスクワットでも、僕たちは一回だけ、に挑戦することは少ない。
レップをそしてセットを重ねる。さて、なぜ重ねるのだろうか?なぜ重ねた方がいいのだろうか?
今回は、その繰り返しとはなんぞや について語ってみたい。
神経と筋肉の解剖生理
骨格筋は全て神経と繋がっている。動く生き物全て神経と筋肉は”切ってもきれない”。
正確には筋肉繊維そのものに、神経が突き刺さっているのではない。神経を包んでいる結合組織でできた膜に神経が接している。
関節という構造物でも同じだ。骨同士は”絶対に”接していない”。間に空間を作り、骨ではなく軟骨組織とそれを潤す滑液という潤滑油で距離を保つ。神経と筋肉の間も、ミクロなレベルで、空間を開けて”微妙な距離”を空けて接している。神経の膜と筋肉の膜同士は一部くっついているので、肉眼的にも神経が突き刺さっているように見えるし、神経を”引っ張る”と筋肉が”ついて”くる。
繰り返すが神経繊維と筋肉繊維には距離を保っている空間がある。そして、筋肉は、神経の命令によってのみ動く基本構造生理になっていて、勝手に動いては”いけない”仕組みにもなっている。筋肉を包む膜と自分の膜にできた空間に、神経の中で作られた化学物質を”適当に”放り投げることで命令を伝える。神経自身の興奮は電気信号なのだが、電気は伝えず化学物質に変換する”手間をかける”。その化学物質を受け取った筋肉で運動というエネルギーにまた変えられていく。
空間と微調整
人同士でも、どんな”親しい”人でもベッタリとくっついて居続けるのは”おかしい”。あくまで別の”物”構造物同士は、距離が大切である。近すぎて見えないこともある。距離があるから見えてくる、伝わることもある。
先に述べた同じ骨同士も、同じ構造物なら接しても良いはずだが、間に別の構造物を”わざわざ”挟む。神経から見れば筋肉とは動くための奴隷である。
そもそも構造的に違う。父と母の分身が出会い一個の細胞が何兆もの細胞に増えていく時、まず3つの大きなグループに分かれる。最初にできる内胚葉から腸ができ、それを取り囲むように次に外胚葉と中胚葉ができる。外胚葉からは神経と皮膚が、中胚葉から骨、筋肉、血管ができてくる。一度別れたグループは二度と同じ仲間にはならない運命で、それぞれの役割に向かってどんどん形や機能を変えていく。その変えていく時、神経は全ての構造物を支配するリーダーとして、筋肉は、その個体が動くために特化した器官として成長を止めず成長していく。役目は全く違えども、元々は同じものが、どう支配者と被支配者になるか、それが、この膜を通した空間での化学物質の受け渡しなのである。
なぜ、化学物質に変えるのか、それはある細胞に起こった電気信号の変化(興奮という)を直接別の細胞に伝えるには、信号変化を化学物質に変えた方が、微調整ができるから、という説もあるが、長い長い動物の進化の中でなぜそうしたのかは誰にもわからない。
時間をかけて作りだす支配
人は、母親の体内から出た後、動き始めるが、息をする、泣く、手足をばたつかせる、という基本的に顔周囲の筋肉を動かしそれより末端は適当に動くだけである。
しばらくして目を開けて、”餌”を要求しても噛むこともできない。もちろん首も座っていない。同じ背骨を持つ、そして哺乳類の多くの四つ足動物が臍の尾がついたまま、首がすわり立ちあがろうとするのと雲泥の差である。神経と筋肉の関係は彼らと僕たち人との違いは全くない。
では、この”自立”への時間差はなんなんだろうか?
手間と繰り返しで道が繋がる
四つ足動物の筋肉、僕たち人の筋肉も似たような配置になっている。唯一と言って良い違いは、筋肉の配置も数も同じだが、その筋肉を制御する神経繊維の数が違うことだ。人では特に手の指を動かす神経細胞が多い。動かすためには、ただ動けという命令を出す神経、どう動いているかをコントロールする神経、動きを”記憶する”神経、周囲の状況を感じて脳に伝える様々な種類の感覚神経、全てが、指先まで配置されているのが初期設定である。
神経細胞とそれから伸びていく神経繊維、そして受け取る筋肉組織の間には距離がある。この距離を伝わる速度も、伝える仕組みは動物共通である。人は、長い年月をかけて、生まれ落ちた時から敵に”襲われる”という危険は回避できるという状況を作りだし、すぐ走って動けるのは、後回しにして指を使って何かをする、作り出すための神経回路を完成させる時間を生後数年かけて作り出す手段を取った。
だから、何かを始めようとする時、時間をかけるのは当たり前でもある。繰り返し刺激を与える、何度も同じことを繰り返すのは神経回路構築には時間がかかることを”知っている”からだ。最初から耳で聴いた曲をスラスラとピアノの鍵盤で表現できるピアニストなどいない。彼らは、とんでもなく長い時間、脳神経の一つである聴覚神経と指先を動かし感じる運動神経回路の構築を行なっているのである。
筋トレへの応用
ラットプルダウンで、最初から背中の”ある場所”だけに効かせることなどできない。背中にはたくさんの筋肉が付いているが、物を引き寄せるために、一斉に動くようになっているからだ。胸郭の”反対側”にある胸には、そんなに筋肉が付いていない。不思議である。押すより引くことにバリエーションがあって進化の中で、その必要性からたくさんの筋肉が付いてきた”発達”したのである。
さて、その背中の筋肉の特定の場所だけを発達させたい時、どう工夫して行けばいいのだろうか?
発達させるには数レップできる重量を、フルレンジでなどという訳のわからない”神話”は捨てて、ターゲットになる筋肉の収縮を感じることができる重さと種目を”見つける”のだ。それはマシンでも良いし、フリーウエイトでも良い。そして両手にやる必要もないし、フォームも決まったものなどない。感じないなら、ここを、と誰かに触れてもらうのも良い。全ての皮膚には痛覚、温度感覚、そして位置を感じる、触れた強さを感じる神経細胞が標準装備されている。もちろん筋肉の収縮度合いを感じる神経もある。外から触れてもらい、あるいは動きを見てもらい、記録してもらい、視覚から大脳とその筋肉の間の”道を作る”ことが大切である。千里の道も一歩から。神経は意外に不器用なものである。